機動戦士ガンダムUC 第1話「ユニコーンの日」

地デジ対策にチューナー兼STBみたいなんを買ったのでアクトビラにてユニコーン鑑賞。
意外にも、これほど初代リスペクトにもかかわらず、あんまガンダムっぽく感じなかった。
たぶんそれは、特に逆シャアあたりに顕著なトミノ的(エキセントリックな)キャラクターの葛藤が乏しい、というかそもそもあんまキ印が出てこなくて地に足のついたおっさんばっかり*1出てくる、ってあたりでそう感じるのだろうし、また、初代第1話と同様の「戦争の始まるプロセス」を描いているのに、描写の桁違いの緻密さが「スペースコロニーでドンパチすることの危険さ」を肌で感じさせるところが、「結局のところ、SFではなかった」ガンダムらしからぬ感覚を味わわせるのだろう。
そう、本作は、宇宙世紀ガンダムの設定、話の構造をすべて受け入れながら、しかし、富野喜幸(当時)が本来目指した「おもちゃの宣伝でありながら、その実きちんとした人間ドラマをやる」魂を継いでいない。逆に、ドラマはボーイミーツガール、偉大な父を乗り越える息子、成長した王の帰還、などの王道に回帰し、そのかわり、(初代を含む)作品世界自体を、「リアルなもの」としてフィルムに定着させることに本作は注力しているように見える。
それは、かなりのところまで成功しているのだろう。情報量は多いものの、ハリウッド映画のようにわかりやすい図式、奇をてらわない*2演出、ある意味イノセントなキャラクターたちによる、「普通の」話を、凄まじいディティールの破壊描写とバイオレンスみなぎるモビルスーツ戦で、娯楽として成立させている。これで、『ガンダム』をリアルな感触の「映画」にしてやろう、という制作陣の意気込みを感じる。
人間のリアリズムはポケ戦でもやっていたが、福井晴敏はハリウッド大好き人間らしく、ある意味近年のスピルバーグ的な、即物的、皮相的リアリズムをガンダムに注入した。
小説版はそのせいで最後の最後でテーマと手法が乖離したように見えたが、アニメ版がその轍を踏むのかどうか、今後も注目していきたいところ。

*1:名もない兵のプロフェッショナルっぷりが描かれるのが新鮮。特に最初のスタークジェガン

*2:といいつつ、主観カメラをキョロキョロさせたりZ回転させたりするのは監督の個性の表れなのだろう