パンズ・ラビリンス

教訓のあるファンタジーは売れる。
ネバーエンディング・ストーリー』は、ファンタジー世界での冒険が、主人公と読者に力を与え、現実に生きる力を与える物語だった。こーゆー教訓的な物語は洋の東西を問わず繰り返し登場するようで、例えばジブリの『猫の恩返し』『千と千尋の神隠し』なども、基本的にこの構造に則った、「(親が)子どもに見せたい」ファンタジーの一典型となっている。子どもの映画代を出すのは親だから、親子一緒に見られる教訓ファンタジーには営業面の利点がある。

それに対して、こんど映画にもなる『不思議の国のアリス』は、20世紀文学史上に残るその影響力の大きさにも関わらず、徹底的に「教訓的でない」ところが新しかった。ファンタジー世界に行って、なんも成長せずに帰ってくる物語。

パンズ・ラビリンス』は、同じような「赤、緑、黄、黒の世界でアリスのコスプレをした少女がフリークスと地獄巡り」映画の『ロスト・チルドレン』などと同じく、後者の系列に連なる映画だ。いかにもTVゲームじみた「3つの試練」をクリアしていく主人公は、しかしあまりに過酷な現実(「わたしの新しいパパは殺人狂の大尉なの!」)から逃避するためにしか、ファンタジー世界を活用しない。

少女の逃避的妄想が、過酷な現実から目を逸らすためにフル活用される物語、というと『パンズ・ラビリンス』の前年に制作された『ローズ・イン・タイドランド』が思い出される。違いは、『パンズ〜』のほうは主人公が自らの境遇を認識しているが、『ローズ〜』のほうはそれすら気付いていない、という点だろうか。

この違いは双方の結末にも現れている。
少女の逃避的妄想が観客の想像を超えて現実をひれ伏させ、観客をぶん投げてしまうアナーキーな『ローズ・イン・タイドランド』と、少女の逃避的妄想が観客の期待を裏切って現実に回収され、観客を全力でビンタするアイロニカルな『パンズ・ラビリンス』。

10歳そこそこの美少女のビジュアルなど、多くの共通点をもつ2作だが、「現実」との向き合い方において、双方のスタンスはかなり異なる。
ファンタジー描写を通じて、「現実逃避的ファンタジーが流行る現実」を皮肉るアンチ『ネバーエンディング・ストーリー』な『パンズ〜』と、「現実なんて逃避的ファンタジーと同じ程度の軽いモンだろ」と主張する『ローズ〜』。その意味で、『パンズ・ラビリンス』に対応するギリアム映画は『ローズ・イン・タイドランド』ではなく、『未来世紀ブラジル』の方だといえる。
ちなみに『パンズ〜』のプロデューサーには、王道のファンタジーハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督であり、『未来世紀ブラジル』に多くのオマージュを捧げて「現実」とガチに向き合った傑作SF『トゥモロー・ワールド』を監督したアルフォンソ・キュアロンが名を連ねている。

「本の世界は現実の逃げ場にはなんないよ。当たり前だけど」というデル・トロの悪趣味なメッセージが力を持つ現代、「現代でファンタジーを描く」というのはこれほどまでに難しいのか…と思わされた一作。