ウォッチメン

むーむーむー…。原作に思い入れのある人間として、こいつはちょっといただけない。

原作コミックに非常に忠実な映画化だ。
一読してもなかなか全体像の掴めない、複雑な構成の原作を、その構成のまま、逐次的に映像化している。おかげでたぶん初見ではワケがわからない&とんでもねー長尺だが、ホリス・メイソンが襲撃されるシーンがないなどの一部を除き、エピソードのカットは最小限に抑えられている、と思う。

しかしストーリーの筋立ては同じでも、コミックと映画の表現の違いから、やはり映画は独自の「演出」を施さねばならなかった。そして残念ながら本作は、原作の複雑なキャラクター、コメディアン、ロールシャッハ、オジマンディアス、Dr.マンハッタンに関して、理解に失敗したまま、演出に望んだとしか思えない。

特にDr.マンハッタンはそのしわ寄せが酷く、これでは単に身勝手な超人になってしまう。もともと機械いじりや物理学に没頭するような性格だったジョン・オスターマンが、超人となってその傾向に拍車がかかった、という描写にならねば、誰もあのフルチンブルーマンに感情移入などできはしない。原作のエピソードはすべてあるが、映画版は自己中な神にしか見えない。だったらエピソードはもっとカットしていいはず。
そもそもDr.マンハッタン自体が作品テーマに関わる「核」のカリカチュアであるのに、そこも徹底されてない。額のマークは「水素原子」で、その「原子の超人」が身近な人々をガンにしている、というのは日本人なら「原爆→放射能→ガン」という関係を容易に導き出せ、「ヒロシマの恋人」をNYに描かせたアラン・ムーアの狙いもそこにあるはず。なのに、意識的にか、この重要な視点がさらりとスルーされている。そのくせ水素原子マークを額に描くシーンはちゃんと残ってるから、まったくなにをやってやがんだ、と言いたくなる。

ロールシャッハについても同様。ウォルター・コバックスは元々が凶暴な人間であって、それを自ら規定した「倫理」で、ギリギリ社会と繋がっている男だ。だからヒーローを辞めることなどできない。「顔」とともに、それは彼が唯一、世界に正対できる存在理由なのだ。これは「仮面の下には理念しかない」の『V/フォー・ヴェンデッタ』の「V」と同じ、ムーア流のヒーロー造詣の肝であったはずだ。ロールシャッハの倫理は奇妙ではあっても、「顔=仮面=強靭な意志」の力で裡なる凶暴性を御している。単に暴力を表出させるのは、ロールシャッハの精神の敗北なのだ。だからあれほど魅力的なのだ。なのに映画は…。原作屈指の名シーンである誕生シーケンスがなんかひどくアタマ悪く改変されていて、相当に失望した。ラストの「殺せ!」は自暴自棄になったのではなく、社会正義(とされるもの)に対して、自らの倫理の敗北を認められない男の慟哭である。ここに、『ウォッチメン』最大のテーマである「正義とは?」が集約されている。
マルコム医師もそう。
「闇を見つめる者には、闇が見つめ返す」。「キリングジョーク」でも、『フロム・ヘル』でも繰り返されるムーアの主題が、ここにはあった。ロールシャッハの心を覗いたマルコムが、「闇を見てしまった」ただそれだけで、人生を破滅させる。それほどまでにロールシャッハは苛烈な心の持ち主なのだ、というシーケンスなのに、肝心カナメなところでぶち壊し。心底ガッカリだ。

ベトナム等、過去の描写も貧弱で、演出で時代性を醸し出せないのを当時のヒットソングで逃げている、と感じた。監督の若さゆえか、ベトナム戦争ワルキューレの騎行、という短絡さに隔世の感を覚える。

原作を忠実になぞったことでの弊害もある。
原作そのままの80年代を舞台にしたことで、ストーリーの大前提となる「迫り来る核戦争の恐怖」が、事前の懸念通り、まったくサスペンスとして機能していない。リアルを志向したアメコミの映画化作品が、凝った画面と相まって、かえって虚構(つくりもの)に堕してしまったのは皮肉としか言いようがない。なんとなく予測はしていたが、ここまでまったくハラハラドキドキしないのは問題だろう。
原作が傑作だったのは、その当時の「いま・ここ」に正面から挑んだからで、その意味で、映画版は原作の意図を汲んでいない。パラマウント版時代にポール・グリーングラスが「9.11以後の物語に作り替える」と宣言したのは、やはり間違っていなかった。

ザック・スナイダー監督もそれは先刻承知なのか、危機の具体性を出すために『博士の異常な愛情』ばりの、国防会議かなんかのシーンをたびたび挟み、ニクソンに「デフコン2だ」「いや1だ」とか言わせているが、この演出も中途半端で、サスペンスが感じられない。『博士の異常な愛情』が優れていたのは、指揮系統と現場との両面から「核戦争」の具体的発生プロセスを描いていたからで、ここだけ低予算映画になられても困る。
なんかこの映画、やたらそんな感じの「こんなことなら、カットした方が良かった」シーンが多い。基本的にお気楽なLXGならあの映画でも構わないが、『ウォッチメン』では、やはり「豊穣な原作から、何をあきらめるか」というストーリーの取捨選択が、映画化に際して必須だったと思う。

いいところは映像。デイブ・ギボンズのアートそのままの構図で、原作の様々なシーンが再現されている。もともとあんまり見てくれがよろしくない(と俺が思ってる)『ウォッチメン』のヒーローたちが、思った以上にカッコよく、一応のリアリティを持ってスクリーンに登場する。アクションシーンもキチンと見せ場になっており、ここは間違いなく原作以上。

この長尺に見合う満足はないが、この映画を見て心に引っかかりを感じた人が、この機会に少しでも原作を手に取ってくれることを願う。