ポセイドン

かなり評判がよろしくない『ポセイドン』を勢いで観たら。
えー!?
ンだよ、これもポスト9.11映画なのか! 実際、『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイク、というのはどーみても隠れ蓑で、突発的に理不尽な暴力に晒された人々のサバイバル行をリアルタイム進行で追う、というスタイルは、公開日の近い『ユナイテッド93』と非常に似通っている。
還暦をすでに越えたペーターゼンの演出は、グリーングラスのような暴力的カメラワークや矢継ぎ早のカッティングとは無縁だが、開巻早々に訪れる暴力と死のつるべ打ちを、どっしりと、まっすぐに見せ付ける。これほど簡単に何千人もが一瞬で死ぬ映画って、そうそうない気がする。
今回の音楽担当はクラウス・バデルトで、映画と同様に甘さのない、なかなか重量感のあるサウンドを聴かせてくれる。やっとまともな作曲家と組んだか、ペーターゼン! というか、ここで『トロイ』に続いてジェームズ・ホーナー続投とかなると、まんま『タイタニック』だしなぁ(笑)
というわけでもなかろうが、『タイタニック』にはあった華麗さ、非日常性、ロマンチシズムは本作にはほぼゼロ。セレブ感のない(成金感はある)ニューイヤーパーティーとか、『Uボート』の酒場のシーンかと思ったよ。で、非日常性がないおかげで「日常」を獲得しているこのシーンが、唐突な高波であっという間に死体の山になった瞬間、「まさか、ドイツ人のペーターゼンまでもこれをやるのか!」と戦慄させられた次第。『Uボート』『パーフェクト・ストーム』からずいぶん遠くなったなぁ。なんつー時代だ。
ユナイテッド93』同様の、ジェットコースター映画としての出来は、そんなに悪くない。一部手垢にまみれた中途半端な泣かせ演出もあるが、全体を貫くポリシーは終始一貫している。興収成績の不振は、別の理由によるものだろう。
そもそも、『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクにする必要はあったのだろうか? まんまWTCの惨劇そのままになるであろう『タワーリング・インフェルノ』のリメイクにしなかったバランス感覚は認めるが、その人間性賛歌で名作の名を欲しいままにするオリジナルを、人間性の入り込む余地のない9.11のスタイルでリメイク、って、ある種とんでもねーケンカの売り方だと思う。だってコレ史実ですから、といえる『タイタニック』や純ドキュメンタリーの『ユナイテッド93』との、観客にとっての最大の違いはそこだろう。そもそも、現代に望まれない企画だったのではないか*1。この問題点をウソ史実≒フェイクドキュメンタリーという手法で巧妙に回避して見せた『クローバーフィールド』って、やっぱかなり小賢しい映画*2だな、と思った。
結局、「もはやパニック映画でさえ90年代までのような能天気ではいられない」という、ハリウッドに対する9.11の呪縛の強さのようなもの*3を、この映画は証明した、ように見えた。

*1:そーゆー意味(時代に合わないネタ、という意味)では、こないだの『スーパーマン・リターンズ』と同じ十字架を背負っている、ともいえる。

*2:会社の同僚は「J.J.エイブラムスは現代っ子だから」と評していた。

*3:そのわりに、同じドイツ出身のエメリッヒは能天気なまんまだが。