システムとストーリーのベクトル

システム上の死は復活できるがイベントで死ぬとシステムから除外、という、FFのエアリスみたいな*1例は、たぶん、恐竜的進化の果てに奇形化した国産RPG特有の齟齬だろう。システムが目指すコンセプトと、シナリオが目指すテーマとが、譲らないまま同じゲーム内に同居し、そのダブルスタンダードにユーザーも馴らされてしまった。
そこを打破するには、前回の「一直線に死に向かうゲーム」にもあるような、システムとテーマが互いを要求するような関係性をゲームに持ち込むことだろう。言い換えれば、ディレクターとライターが同じベクトルを向いているゲーム*2だ。昔の『スペースシップ・ワーロック』の衝撃そのままに、個人作品にこそ、そのチャンスは開かれている気がするが、ユーザーの質・量に対する過剰な期待が、小規模RPGを作りにくくさせているような。

*1:俺の場合はファンタシースターIIのネイみたいな

*2:すでにシステムが希薄化し、原画家とライターしか評価対象にならないエロゲーでは、ほとんどライターのベクトルだけがゲームを駆動している