システム上の死を容認するストーリー

反応して頂いたhiyokoyaさんには申し訳ないが、例の対談のソースは覚えてません。ただ、ゲームシステムとストーリーを別の人間がそれぞれ(自分の信じる)勝手なほうを向いて作っているかぎり、「それは戦闘不能であって死ではありません」的な言い訳は無くならない、とは思う。また、殺人や自殺について、ゲームの自主規制っぷりはマンガの比ではない現状もある。
で。
ホントは『生きる』と『椿三十郎』の両極端な死の表現、死のメタファーで埋め尽くされた『アンダーグラウンド』など、映画方面で書くつもりだったが、変更して「システム上の死を容認するストーリー」を考えてみたい。*1
パッと思いつくのが、『さらば宇宙戦艦ヤマト』や『ローレライ』のような*2、「死出の旅路」ネタ。目的は別にあり、それが成就したなら死んでオッケー、という実に日本人好みの展開になる。これなら、全員死ぬこと前提でストーリーが作れ、さらに各々の死にドラマを持たせることが出来るだろう。うまくやれば、特別な演出や、果ては台詞もなしで、ムービーゲーを越える涙をユーザーから搾り取れるかもしれない。
つづく?

*1:俺の屍を越えてゆけ』をダウトとして

*2:別に『女王陛下のユリシーズ号』でもいいが