嗤う日本の「ナショナリズム」

ナンシー関から2ちゃんねる論あたりからはだいぶ読みやすい。2ちゃんがらみでナショナリズムも少し出てきて、これがどうもタイトルの由来らしい。その論理も随分と迂遠で、看板に偽りありだ。
中身について言えば、アイロニーゲームを駆動しているのは過酷な男性原理で、無邪気に感動を享受しているより大きな層の一部でしかないのでは。2ちゃんに書き込む一部の層より、それを楽しむ読者こそが「社会」のはずだ。まぁ「言説」を追う作者のスタンスでは、そこまでは到底無理か。
「私の実存の充実を担保する何か」などと書かれてるが、これこそ「感動体験の絶対化、神聖化、または(私的な)宗教化」だろう。魂を得た彼らは、もはやゾンビと言えるのか?
それよりなにより「…すべき」「…ねばならない」など誰が決めたんだかの断定調と、「…を脱臼させる」「…を賭金とした」「…を剔抉した」など言葉の独特な用法とが生み出す高踏的な論調が、内容よりもえらい気になる。