ゲームにおける身体性

「身体性を失った現代人」とゆーテーマにここ数年非常に惹かれている。いじめや引きこもり、新興宗教オタク文化など、個人的に「そう考えるとしっくり来る」視点を提供してくれている。娯楽作品では『ファイト・クラブ』がその対処法にまで踏み込んでおり出色だった。
で。
TVゲームの世界は、そのイメージからすると意外なほど身体性を要求している。特にアーケードゲームにおいて顕著で、AM市場の復活は「身体性の復権」と直結している。そして最近の任天堂変則コントローラ路線とXAVIX系列TOY、これらもまさしく「失われた身体性の再獲得」にあたるだろう。
その一方で、特にCS、PCの非リアルタイムゲームの先鋭化、「脱身体」化も進んでいる。現代的なゲームデザインが「脱身体」的になるのはもうある意味必然ですらある。
最近、「シリアスゲーム」という言葉を良く耳にする。社会的、教育的に意味のあるゲーム、と捉えているが、どうも知識方面への偏りを感じる。エアホッケーあたりを題材に、「身体性の再獲得」が社会的に及ぼす影響を、どっかの大学かなんかで研究してくれないだろうか。